童謡歌手・指揮者・作詞家・日光観光大使 日本音楽著作権協会会員 

下司愉宇起オフィシャルWebサイト

2016年、下司の作詞作品が初めて刊行されて5年になりました。
そこで私が歌詞を作るようになったきっかけのようなものをエッセイぽく書いてみようと思います。
歌手の下司とはまったく別の観点で書いてみます。


①詩を書き始めた頃

 下司が詞作を始めるようになったのは高校3年生の頃でした。
詞作については特に学びがある訳ではないのですが、母方の祖父が短歌会を主催しており、父方の祖母、親戚、また父もその会に参加しておりました。故に家庭の中で夕食時やちょっとした移動時、たびたび短歌の評論会で盛り上っていました。そんな環境の中でしたので、今考えると門前の小僧というやつでしょう。恵まれた環境でした。

 今でこそ様々な媒体で文章を書かせて頂いたりしていますが、実は高校の半ば頃まで文才は皆無でした。高校2年も終わりの頃でしょうか。学校の文集に寄稿の募集があり、通っていた高校の海外研修のことを書いてみようと思い立ちました。なにか天からの啓示だったのかもしれません。それまでそんなことを思ったことはただの一度もありませんでしたし、小学校時代から作文は大の苦手。読書感想文等一度も提出したことはありませんでした。それが本当に天から降ってきたようにすらすら〜と言葉がわき上がるのです。まさにその時言葉を組み立てる楽しみを知りました。

 歌詞を書くようになったのは高校3年生の受験も迫った頃です。また音楽大学を目指す中で、日本歌曲になにか凄く興味と魅力を感じていました。特に中田喜直先生の作品は曲そのものに素晴らしいエネルギーを感じていました。

 またおしゃべりが好きな下司はその頃気晴らしによく図書館の司書さんのところでお茶を飲みつつお話するのが日課でした(笑。良い子は図書館では静かにしましょう。飲食してはいけません。)。司書の先生は色紙に金子みすゞやサトウハチローの詩をプリントし、学生向けにしおりを作っていました。司書さんとおしゃべりお茶会のついでに様々な詩集からそのしおりを作るための詩さがしを始めたのが文学の入り口だったように思います。特にその頃童謡詩と言うものに出会います。一流の作詩・作曲家が子どもたちのためにやさしく、それでいて芸術性に富み、魅力ある作品を生み出していこうとする大正デモクラシーの運動になぜかとても興味をもちました。

 またそんな時期に出会ったのが中田喜直作曲の歌曲集「六つの子供の歌」から〈 むこうむこう〉でした。歌詞は西条八十氏の娘さん三井ふたばこさん
気品溢れる芸術性と親しみやすさ、そして単純明快!詩と曲がみごとにマッチしていて全身に衝撃が走ったのを覚えています。

 上記のなかで、「よっしゃ!自分も一つなんか曲を作ってみるか!」と創作したのが処女作(?)〈かたつむりのゆうびやさん〉でした。この歌詞は今、安東みどりさんの力をかりて〈ジャズ風平成童謡集き・も・ち(ハンナ刊)〉の2曲目に収録されています。この歌詞はアメリカの絵本作家アーノルド・ローベルの作品「ふたりはともだち」のなかの「おてがみ」というお話をモチーフ(?)に見よう見まねで作りました。当時は自分でま中田風に全く別の曲をつけても見ました。

 その後大学に進学し、憧れの東京での生活の中で詩の感性はまったく失われて行きました。
またそれまでに書き貯めた詩をある日大学の某偉い詩人の先生に見せたところけちょんけちょんに貶され、もうやーめたとほっぽり出してしまいました。

 あーっという間に月日は流れ
大学を卒業し、最初下司は芸能事務所に所属しました。所属といっても世の中芸能界を目指す人は山のようにいらっしゃいます。そうそう簡単には日の目は見られません。
日々の生活のために合唱団の指導を始めます。「なにか合唱団のためにオリジナルソングを作ってあげたい」と書いたのが今合唱曲集「コンサートがはじまるよ!」の中に収録されてる「青い地球」です。環境問題と人間社会の問題提起を文明と自然の共存というテーマで書きました。しかし、今見返すと恥ずかしくてもうあのような歌詞はかけません。

②初めての出版作品

 しもじの作品が初めて世に出たのは2011年です。
女声合唱とヴォーカルソロ・ピアノのための小組曲《HARU》という作品でジャズピアニストの保坂修平さんが作曲です。この頃までに自分には作曲の才能が無いとなんとなぁく気づき始めました。というのも前述したように自分の歌詞にメロディーをつけてみるのですが、どうもどこかで聴いたことのあるような旋律になってしまう。和音がださい。作曲の専門家にメロを付けてもらうと自分で想像しているより遥かに素晴らしい旋律がついてくる。などなど是は自分には向かないのだとおもいスパーンと諦めました。
 この作品は私が指導するコーラスグループ、女声合唱団岡本カンマーコールの第一回定期演奏会(二回公演)で初演され下司が指揮、ピアノを作曲者、ソロは宇都宮短期大学の先生である鎌田亮子さん、二期会会員の田崎美香さんがそれぞれ務めました。2011年は大きな震災のあった年。HARUが来るののがどんなに待ち遠しかったか。私にとって大切な作品です。


③下野旅情のこと

 前述した岡本カンマーコールは2011年に公募し、栃木県宇都宮市に発足した合唱団です。この経緯はまた別述することにしますが、東京と栃木を往復する中で生まれました。旅情スタイルの曲は演歌や歌謡曲によく見られます。私も最初そんなイメージでした。栃木と言えば芸人さんがよく自虐的なネタで笑いをとるのを見ます。しかし栃木県は那須や日光、足利を始めそれぞれの地域でとても素晴らしい文化が根付いています。その魅力を歌詞にと考えました。まず合唱団の団員さんたちにゆかりのある日光、湯西川、那須、宇都宮で作詞。
 そんな話を保坂修平さんに話したところ『じゃ、ボクが合唱曲に作曲するよ』ということであっという間に雅な和風テイストの歌詞がつきました。宇都宮の出版社である随想舎さんが刊行して下さることになり、宇都宮短期大学の文化祭で初演しました。
 その後思いもかけずNHKが興味を持って下さり、報道番組のなかでドキュメンタリーとして取り上げて下さったのです。



③作詩家として


 女声合唱とヴォーカルソロ・ピアノのための小組曲《HARU》が刊行されたことを機に下司は作詞家を名乗る名乗るようになります。しかしながら作家団体に属さず、また特にタイトルの冠を得たわけでない自分が、恵まれた詞作活動と発表ができているのは、本当にありがたいたくさんのご縁の賜物ほかありません。ご縁に感謝、神に感謝です。



④唯一のタイトル 


 過去に1度だけ、2015年静岡で募集された“家康公に捧げる歌”公募にで1等を頂きました。これは徳川家康公薨去400年を記念し、ゆかりのある静岡市の市民参画行事として募集されたもので、家康公を継承した詩を募集するというものでした。「家康公の偉業を讃える」という内容ならきっと難しい歌詞の応募が多いのではないかと考え、戦略的に童謡詞のスタイルで応募したところ、みごそのねらいがヒットし、入選!私が家康公ゆかりの日光観光大使であることからも、なにかご縁を感じたのでした。

←この曲です。版権はフリーですから是非歌って下さい!



⑤作曲は?

 もちろん作曲は音楽家の憧れです。私もなんどもトライしました。PCには楽譜ソフトや音源制作ソフトが入っています。過去に自分の歌詞に曲を付けてみたこともありました。しかし人には向き不向きがある。どうしても上手く行かない。専門家に同じ歌詞を渡したところ、自分では想像もできない素晴らしい魅力的な旋律と和音が付曲されてきました。これは全く才能がないと諦めました。それ以来自分の歌詞が専門家の力を借りていのちが吹き込まれる楽しみに浸っています。


⑥詞と詩

私は【詞】という字にこだわっています。
これは私が書くのは詩のリズムとして独立した作品ではなく、
あくまで“メロディーがつく”ことを想定して詞作しています。


⑦これからのビジョン


 おかげさまで2011年に作詞家を名乗らせて頂いてから、合唱曲、ご当地ソング、歌謡、キャラクターソングといろいろな作品を書かせて頂きました。もちろんこれらジャンルに垣根は設けず、どんどんチャレンジして行きたいと思っています。
 そのなかでも、私は童謡歌手ですし、〈こどものための楽曲〉をたくさん書きたいなと思っています。過去には実はN◎Kのみんな●うたでいい線まで行ったこともあるんですよ。でも残念ながらオンエアには至りませんでした。志しているのは夢のある、温かさを備えた歌詞です。

⑧死後のこる作品を

 実は高校3年の頃です。歌い手は死後忘れ去られていく。なにか生きた証をのこしたい—などと
ませたことを考えていました。
 世の中に歌詞を書く人、作曲する人はたくさんいます。また音楽が一つの産業として、商品としてわんさか生まれては消えています。自分の死後も愛され歌ってもらえる歌詞が書けたらこんな幸せなことはありません。